2014/10/27

死をもって再認識した赤瀬川原平氏の直感力

1551691_10203638978668281_700687371

「路上観察学」「超芸術トマソン」「ハイレッドセンター」……etc。

10代の頃、読書家でない自分自身ゆえ多大なる影響を受け私淑していた
前衛芸術家で作家の赤瀬川原平氏が10月26日に亡くなられた。

私淑していたのが以心伝心していたのだろうか?! 

資生堂の「花椿」で連載されていた「赤瀬川原平の今月のタイトルマッチ」という、
本の中身は読まずにタイトルのみで本のことを書くというユニークなコラムのなかで、
なんと左利きにかんする拙著を取り上げてくださった。

そして、写真でご覧になればわかるかと思いますが、
「赤瀬川原平の今月のタイトルマッチ」は一冊の本にまとめられ、
ついでに私が送った手紙にかんする話題まで前書きで触れられていた!

というのも、私はすっかり拙著を読んでいるものと思って礼状を書き、

「タイトルマッチ」ということで中身はまだ完読していませんが、ますますの左手のご発展を祈ります」と書かれた自筆によるお返事までいただいた。

「まだ」と吹き出しで追加されている筆の跡を見ると、
お気を遣っておられる様子を感じ取れて、読了されていなくとも感激したのを憶えている。

さらに、自分は読書が苦手であることを再三書かれた単行本の前書きに、
以下のようなことが書かれており、さらに感激は頂点に達した。

「(前略)こちらの書いたことが中味にふれていれば、
 それはある程度読んで書評したことになるかもしれない。
 こんなことがあると、人間の感覚の不思議さというものをいつも思う。
 ごくわずかな末端を見て、その全体を感じる能力というのは何だろうか。
 間違いはあるとしても、初対面の人の一瞬の印象で、その人物の内容を何となく感じる。
 人間のいろんな末端部でいちばん重要なのは、やはり顔だろうか。
 パッと見たその人の顔の作りと表情で、パッとその人の性質と、長い人生を感じる。
 電車の窓から外を見ていると、停車したホームを通勤や買物や何やかやで出てきた人々の顔が、次々に通り過ぎる。
 そのたびにそれぞれの人生がパッ、パッと一瞬に見えて通り過ぎる。
 ああ、この人生、ああ、この人生……。」
(『赤瀬川原平の今月のタイトルマッチ』8ページ)

じつは拙書のタイトルを決めるにあたり、
出版社側から「左利きの人だけでなく右利きの人にも気をひくタイトルを」
という提案があったこともあり…店
出版サイドからの「見えざる左利き」というインターネット時代においては、
左利きにかんするキーワードでは有利ともいえるタイトルの提案を、
あえて自分から「見えざる左手」へと変更依頼した。

これにより、キーワード検索では拙著が左利き関連の書としては完全に無視される存在になり、
日々ますます後悔が増しつつあったが……

今こうして赤瀬川さんの文章を読んでいると、
勝手に貴重な私淑する方には自分の思いが伝わったと、
半ば勘違いしておいてもいいような気もしてきた。

赤瀬川原平氏が亡くなったことは非常に残念で仕方がない。
でもインターネットで検索すれば「わかった気になる」現代の薄っぺらい脳内活動に楽しい刺激を与える意味でも、
寺山修司の「書を捨てよ、街へ出よう」でもないが「インターネットを離れよ、街へ出よう」
といった感じにさせていただけただけでも、有り難く思える今宵であります。

2014/08/29

鳥瞰的視点からの日本文化論:『月の裏側  日本文化への視角』(クロード・レヴィ=ストロース=著/川田順造=訳)

10599460_10203223851530362_34404363

8月に読んだ本のなかでも印象的だった一冊…

『月の裏側  日本文化への視角』(クロード・レヴィ=ストロース=著/川田順造=訳)

日本人は「国内外関係なく書かれた日本人(文化)論が好き」。
アメリカ人は「アメリカ人が書いたアメリカ文化論以外は読まない」。
中国人は「そもそも中国人(文化)論を読まない」。

などと言われたりもしますが……

フランスの社会人類学者クロード・レヴィ=ストロースによる、とても視野の広い日本文化論。

近代化された社会のみならず未開社会までも通暁する知の巨人のまなざしは、
いたずらに日本を特殊化しない。

はるか昔は陸続きであったとされる、
アジアやアメリカ大陸に伝えられる神話や民話との共通性を語りつつも、
「日本文化をたらしめているもの」を見事に分析されている。

読了後、あらためて日本の文化について「目から鱗が落ち」る思いがしました。

日本人が「国内外関係なく書かれた日本人(文化)論が好き」という点については……
以下にひきますレヴィ=ストロースの見解に集約されているのではないでしょうか。

まず、主体を思い描くとき、

西洋人の思考は「私」から外側へと「遠心的」に構築し、
日本人の思考は「私」から外側から「求心的」に構築する。

これについては……

「人称代名詞を避ける傾向のある言語にも、社会構造にも、見られます」(38ページ)
との指摘から、次のような、とても興味深い一節を導いています。

「中国生まれの汎用鋸(のこ)やさまざまな型の鉋(かんな)にしても、
 六・七世紀前に日本に取り込まれると、使い方が逆になりました。
 職人は、道具を向かって押すかわりに自分の方へ引くのです。
 物質に働きかける行為の出発点ではなく到達点に身を置きますが、
 これは家族、職業集団、地理的環境、
 そして、されに広げれば国や社会における地位によって外側から
 自分を規定する根強い傾向にあります」
(38ページ「世界における日本文化の位置」所収)

閑話休題。
レヴィ=ストロースが日本に惹かれるようになったきっかけのひとつとして日本の古典文学であり
『源氏物語』にかんしても深い造詣をもっていることが、
この本を読むと痛感します。

母型親族の役割、交叉いとこ同士の結婚……etc、
社会人類学者らしい視点を随所に感じる次第。

今年こそは『源氏物語』を読破と思いつつ、
どうも「積ん読」状態。二つ目の写真は、
7年前、『源氏物語』を読破したスペイン人の友人のリクエストで、
紫式部が『源氏物語』を執筆した場所(石山寺)を訪れた時に撮った自己所有の本と紫式部像。

10410235_10203223853890421_44679836

2014/04/16

日本の大衆美

10253907_10202371351898404_16969171

一年に一回、メインの行事が数日間だけの祭りも、
桜の開花と寄り添うように咲いては散る。
その土地に生まれ育ち、その土地で死んでいく人にとっては、
祭りが節目になって一年働き、
そして祭りでいろんな過剰を一気に蕩尽して
日常に戻っていかれることでしょう。

祭りと言えば、ふつう、にぎやかさや人の波なんかを連想しがちですが、
個人的には、「シーンとした夜のテキ屋とどこか陰鬱なしだれ桜」に、
なんともいえない「日本の美」を感じてしまいます。

テキ屋って、店によっては、夜通し店に灯りをともすんですよね。
使われている書体という色合いといい猥雑といえば猥雑かもしれませんが、
こういう庶民の美的感覚こそ、ずっと残ってほしい。

なんだか、「センスがいい」なんて月並みな言葉で物事が整理されすぎてて、
ちょっと味気ないと思わずにはいられない昨今だったりします。


2013/11/27

「ジャン・クリストフ」と「古典真空管」:「温故知新」だけでなく「温故改新」も必要?!

Dscn5833

このところバタバタしていた時もあり、
少し中断していた『ジャン・クリストフ』の3冊目(フランスの原書では第6〜8巻)だったけど、
昨晩は時間を忘れ夢中になって読了。

特に第7巻「家の中」、第8巻「女友達」では、
作者ロマン・ロランの深い洞察力に感銘を受け、
速読なんていう陳腐な利己心は一切沸き立ちませんでした。

それにしても、以下の一節って、我々が日常、
何かを為す時にも大事な心構えではないかと思った次第です。

「大芸術家の理想は、生きたる客観主義であるべきであった。
 みずから自我の衣を脱いで、世界を吹き渡る多衆的熱情の衣をまとう、
 古の楽詩人に見るような、生きたる客観主義であるべきであった」
 (『ジャン・クリストフ』3・p503)

大衆に迎合するというのは訳が違うし、
鋭くエセ表現者の利己心をいさめていると勝手に解釈しました。
その他、感銘を受けたことは枚挙にいとまはありませんが、
最後の4冊目も大事に読んでいきたい。


閑話休題。
もうすでに21世紀も13年経っているので、
1903〜1912年まで文芸雑誌に連載された長編小説(ジャン・クリストフ)は
「古典」と呼ぶのかもしれないと思いつつ……

今年自作した真空管アンプもロシアや中国の現代のレプリカ真空管ではなく、
1930年〜50年代に作られた古典管で、
当時の音響技術の英知を咀嚼しながら音楽を聴いてみたいという思いにかられる今日この頃。

というのも、なんでも現代の最先端を選択すれば心地よさを得られるかといえば、
全てがそうではないと言えませんか? 

自分が作ったという思い入れも多分にあるかと思いますが、
真空管アンプの奏でるミュージシャンの躍動感を知ると、
生産効率で「何か(something)」を失っていると思えてならないんです。

で、某オークションで落札したのが写真の真空管。
これらは整流管というもので、
オール古典管にするためには、
また初段管2本と出力管2本をゲットする必要があるんですけどね。苦笑。

ちなみに写真の真空管、特に左側は1930年代のヴィンテージ品です。
70年以上の歳月を経ても生きているサウンドを、早く耳にしてみたいです。

これらはアメリカ製。これまで「ベタなアメリカナイズ」にどうも馴染めず、
アメリカ製のものも敬遠しがちでしたが……
良くも悪くも一番アメリカがイノベーティブであったであろう時代を
音として肌に触れてみようといったところです。

2013/10/11

植物園の「ショーウインドウ」

Untitled1

とある植物園の「ボタ二カル・ウインドウ(Botanical Window)」。
植物園前の通りと垂直に交わる三叉路の突き当たりにあります。
信号待ちが苦にならず癒しのひとときになるような「植物園のショーウインドウ」。

「四季折々の見頃の花々や園内で開催中の展覧会を紹介するなど、
タイムリーな植物園の情報を発信していきます」と案内のボードに書かれていました。

こういう美意識に税金が使われるのって大変ありがたいことと思うのは私だけでしょうか?



2013/10/08

#曽根崎心中「生玉神社を訪ねて」を更新しました

Suicidetop02

当ブログ管理人のライフワークの一つともいうべき「曽根崎心中」。
「#曽根崎心中」というサイトで、
時折、見たり・聞いたり・歩いたり・読んだり・感じたりしつつページを更新しています。

今回は、曽根崎心中「生玉神社の場」で描かれた生國魂神社の訪問記を更新しました。
近松門左衛門はもとより織田作之助や谷崎潤一郎、そして井原西鶴ゆかりの地でもあります。

ご興味ある方は、ぜひ以下のURLへジャンプしご高覧いただけますと幸いです。

http://doublesuicide.jp/ikutama.html


2013/08/21

アート作品の一部になってみました!@New Horizon(表良樹展)

Dscn4473

アート作品のなかで幽体離脱して書いているわけではないですが……先日、京都・三條御幸町にある「同時代ギャラリー」で初個展をされている表良樹さんの会期初日一番目のギャラリーとして、彼がギャラリー内でクリエイトしている作品の一部になってみました。

死体のごとく、四六時中、会場で横たわっているわけではありません。

この作品が意図するコンセプトは伺ってませんが……

・人間と自然(世界)との関係性?!
・大の字スタイルの禅定?!
・以前、同心円上に石を並べた土葬の墓を見た事があるけど、そういった死生観?!

いろいろと想像をかきたてられますが、私が会場を去った後に、作品は展開されているとのことで、もし京都市内へ足を運ばれるようなことがあれば、私の分身?!でもご覧ください。

http://www.dohjidai.com/

↑同時代ギャラリーのウェブサイト

写真上:死体検証のような小生
写真下:作品を展開されている表良樹さん

Dscn4477



2013/07/01

7月1日の誕生花「紫陽花(あじさい)」と花言葉。

Ajisai01

7月に入り、そろそろ梅雨が明けそうと思う頃に、
不思議と清涼感を感じさせて散っていく「紫陽花(あじさい)」。

紫陽花(あじさい)の花言葉には「移り気」や「心変わり」だったりしますが……

「緑〜白〜青〜紫〜赤紫〜赤」と咲き進むと七変化することにちなんでいるとも。

また「辛抱強い愛情」「元気な女性」や
「 一家だんらん」「家族の結びつき」を象徴する花でもあるらしいですが、
そのいっぽうで「冷淡」や「高慢」といった花言葉もあるそうな。

まさに七変化といったところでしょうか。

奇しくも7月1日の誕生花でもあります。

Ajisai02

2013/06/26

真空管アンプの製作道中記:その5/使用したハンダ(オヤイデSS-47)とハンダごて(goot 即熱はんだこて TQ-77)の使用感

Dscn3979_2

音楽鑑賞用の真空管アンプ(KT66シングル)を製作するにあたり、
今まで使ったことのなかったハンダとハンダごてを使ってみました。

★ハンダ(オヤイデ電機 SS-47)

久しぶりの電子工作ということで、
かつてなら鉛が40%ほど入ったハンダを当たり前のように使っていたものの、
このところ環境問題を配慮した鉛フリー(0%)のハンダがホームセンターでも主流になりつつあります。

鉛が体内に残留すると健康被害をもたらすことは以前から知っていましたが、
思い起こせば、
幼少時から釣りへ行ってはネガカリで数多くの鉛を使ったオモリを環境(水中)に残留させた経験が。そんな釣り用のオモリも鉛フリーのものがあったりするので、
ここは将来のメンテナンスを考慮して、鉛フリーを物色しました。

まずは何げなくホームセンターで買える鉛フリーハンダを買って試してみたものの、
ハンダの溶け出す融点が、自分の想像よりも高い。
そして、手早くハンダ付けを終わらせないと、
どうしても固まったハンダが白くなってしまいます。

いっぽう鉛40%のハンダ(ケスター44)だと、
手と頭が知っている「濡れ」で、いとも簡単にイメージするハンダ付けができてしまいます。

でも、鉛フリーハンダを使って完成させたいと思いは募ります。
そこでインターネットで調べてみたところ、
ケーブルといえば即思い浮かぶ「オヤイデ電機」オリジナルの無鉛ハンダがあることを知り、
Amazon経由で購入してみました。

高純度の錫(スズ)のほか、銀が4.7%、銅が1.7%。
ハンダそのものの広がり率は83%とのこと。
試しに使ってみると、鉛入りのハンダよりも融点は高いものの、
想像よりもキレイに濡れて広がるし、
何よりピカッと固まったハンダが光ります。
というわけで、完成までSS-47だけを使いました。
終始使いやすさが印象的だったSS-47ですが、

鉛入りハンダのほうが楽な部分があるとすれば、
一度ハンダ付けした部品や配線を外すときぐらいでしょうか。
融点が低いので手早く外せる感覚があるのは確かです。

ハンダによる音の違いについては、
オーディオの場合、
トランスや真空管のほうが音の要素として重要かと思いますので、
いつか手持ちのエレキギターを改造したときにでも比較してみたいと思っています。

★ハンダごて(goot TQ-77)

ごくごくオーソドックスな40Wのはんだごては持っていたのですが、
たまたま手にした本のなかで、
真空管アンプ製作のベテランライターさんが「ピストル型でトリガーを押せば電力がアップして使いやすい」
と書いておられたのを発見。
これにかんしては、現物を確認して購入しました。

ちなみに、ピストル型のハンダごては初めて。
最初は違和感があったものの、このトリガーのおかげで、
「ちょっと熱が足りない」と思ったシーンでは、
あっと言う間に欲しい熱が得られ、とても便利です。

また、真空管アンプの場合、トランスの端子などへの配線でハンダを多めに流し込む必要性があり、
多くの先達が2種類のハンダごてを用意するとよいといった記述をされてます。
その点、この即熱はんだごてなら、
2段階切り替え式なので一台で十分という点が使っていても大いに助かりました。

さて肝心の「ピストル型」そのものへの感想です。
これ、プリント基板がメインだったり、
抵抗やコンデンサーをターミナルボードにまとめた場合のハンダ付けなら、
疲れにくくて最高だと思いますが……

ラグ板を使った手配線で、しかも入り組んだ部分にもハンダ付けする場合には、
同じ2段階切り替え式でも、
ストレート型のほうがコテ先を奥のほうまで突っ込みやすいのではないかと思いました。

とまれ、ピストル型でも問題なく作業が終わり、無事に音だしできています。

いずれにしましても、細かな温度管理や調節ができる高価なハンダごてまでは必要としない人にとっては、
とても便利な2段階切り替え式ハンダごてであることは確かです。

以上はあくまで主観による使用感ということで、参考になれば幸いです。

2013/06/22

「雨の名前」:雨の姿も一期一会。

Dscn4083

「空梅雨」と思われていた2013年ですが、一年で一番日照時間が長いはずの「夏至」では青空すら見えず、突然、台風まで上陸か?と思わせるような激しい雨に覆われました。

四季を通してさまざまな表情の雨が降る、ここ日本。六月といえば雨が多い季節ですが、砂漠のある国へ行けば、おおよそ日本語ではありえない「砂」にまつわる表現があることでしょう。なんて余談はさておき、この季節に降る「雨の名前」をふと知りたくなり、手に取ったのが……

「雨の名前」

という一冊の本。

そもそも「つゆ」に「梅雨」という漢字が当てられているのは、梅の実が黄色く熟すことに由来するそうで、梅雨そのものにも、さまざまな表情があります。例えば……

「青梅雨」……初夏に瑞々しく輝く青葉をシットリと色濃く魅せる雨。

この季節なら一日おきでもいいぐらいの風情かな。

梅雨の後期(6月下旬〜7月初旬)になると、やはり災害をもたらす集中豪雨が多く……「暴れ梅雨」「荒梅雨」と表現します。

そして梅雨の表情にも、性別があるようで……

「男梅雨」……激しく降ってはサッと止むメリハリのきいた梅雨。
「女梅雨」……シトシト降り続く梅雨。

なんて言われても、それは一昔前なら通じた表現かもしれません。

さてさて、傘をもっていないときに困るのが「にわか雨」ですが、この本をパラパラめくっていたら、なんとも光景が目に浮かぶ風流な雨の名前に出逢いました。

「肘笠雨」(ひじがさあめ)

傘の準備がないところへ急に雨が降りだし、袖(腕)を傘(笠)の代わりにすること、だそうです。とまれ、最近は、そんなことをかまわずにズブ濡れのまま歩いている人を多く見かけるのは私だけでしょうか?


より以前の記事一覧