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2014年9月

2014/09/28

鴨ベースの一級品スープ:一乗寺「鶴はし」元フレンチシェフのラーメン店店主の死

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通い出してからは、もう10年は経っているでしょうか。
ときには「今日はいつもの違うのを作りますわ」と、
トマト入りスープスパ風のラーメンを出してくれたり、
高野川(鴨川の上流)河畔で採れた山菜類のおひたしをサービスで出してくれたり。

京都のラーメンでは「ここ」と、懇意にしていた料理人(元フレンチシェフのラーメン職人)の急死。

そういえば、ここ二週間程、食べに行けてなかったので楽しみにして足を運んだのですが・・・
定休日でもないのに「定休日」の札がかかり、
その横に小さな白い張り紙があったので不吉な予感。

それは・・・

ご主人の急逝と閉店の挨拶でした。

がく然とした気持ちの中いったんは店を離れた後、仕事関係の所用を終え、
再度、店に寄ったところ・・・

京都の某人気つけ麺店で武者修業していると主人から聞いていた息子さんと久しぶりに顔を合わせ、
2階の住居へと通してもらい、遺影と遺骨に対面。

しばらく言葉が出てきませんでしたが、
息子さんの口から・・・

「父のラーメンはしっかり教わっていますし、常連さんにもできるから続けろと励まされたので、店は続けます」

と嬉しい一言。

じつは息子さんが店を手伝いはじめた頃、
鶴はし二世のラーメンを何回も食べさせてもらっていた。
年齢からは想像できないスープとタレのバランスの良さがあり、
将来有望なラーメン職人と確信。

ベテランフレンチシェフだったお父さんの鴨ベースのオリジナリティあふれたダシに、
豚の背脂を塩漬けしたテリーヌ...etc。

かつてスペイン人の友人を二回ほど連れて行ったことがあるのですが、

「この値段で、このクオリティのスープはありえない」と大絶賛。

見た目は普通のラーメンにしか見えませんが、
和・中・洋のいろんなエッセンスが凝縮した素晴らしいスープです。

しばし思い出話にふけりつつ、

帰りぎわ、息子さんが・・・
「なんか厨房のあのへんで、まだ歩いてそうですわ」

なんて話しかけてきたのですが・・・

いつもレジのところで「おおきに」と笑っていたご主人の顔がリアルに浮かんできて、
つい目に涙があふれてしまいました。


悲しみと期待が交互に入り交じるものの、
近く再開する新生鶴はし、ぜひぜひ足を運んでみてください。

http://tabelog.com/kyoto/A2601/A260303/26001608/

↑食べログ

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2014/09/19

年齢を重ねるごとに辛くなる?:『「若作りうつ」社会』(熊代亨著/講談社新書)

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ただでも世界中で心身ともども若く見られがちな日本の老若男女が、
なにげに陥っている「外見も心も若くいたい症候群」。

そんなことを思っていた矢先、
1975年生まれの若き!精神科医による
『「若作りうつ」社会』(熊代亨著/講談社新書)なる本を発見し読了。

戦前・戦中生まれで世間を長らく鳥瞰した大御所ではなく、
団塊Jr世代でありながらも石川県の漁村出身という精神科医の著作であったことが、
読み進めるうえで新鮮でした。

21世紀に入ってからというものの若手論客の多くは、
ニュータウンで育ち、しかもサラリーマン家庭出身だったりすることが多く、
議論を聞いたり読んだりしても「今ここ感」が強い。
また往々にして「己(おのれ)をとりまくコミュニケーションの強度」が
処世を語る上での価値基準だったりする。

SNSやブログ、ツイッターでの友達の数や記事へのコメントの数こそ
そういった価値基準のバロメーターと言っても過言ではない。

昨今、誰もが否定できないようなトレンドに真っ向から反旗をひるがえす著者。
もはや年長者が尊敬されず、
何歳になっても「かわいい」という言葉から離れることができないような「若さ至上主義」を批判しつつも、
結論として「年の取り方がわからないなら上下の世代と学び合おう」と主張しています。

今どき珍しいというか、
まさか日本の高度成長が終焉をむかえた1975年生まれの精神科医から、
村落共同体的な人間関係を賛美する発言を読むなんて思ってもみませんでした。

そういえば、心理学者でもある小沢健二の母上の本で
「社会保障を手厚くすればする程、世代間の紐帯を損ないかねない」
といった一文を読んだことがありますけど、
考え方のスタンスは同じですね。

じつのところ、
この著者のイイタイコトが通じるのは、
年長者しかも戦前・戦中生まれであるか、
農村部や旧市街地で育った人あたりかもしれないが、そう多くはないかと思う。

というのも、もはや、こうした本を読むタイプの戦後生まれの人は、
住む場所の都会・田舎に関係なく、SNSをはじめとするインターネットの世界にドップリはまっているパターンが大半。
趣味つながりでのコミュニケーションにいたっては年齢の上下関係なんてスルーするからこそ、
むしろ年長者が相手にしてもらっていることも多い。

とまれ、もはや年長者ですら年著者としてのふるまいがうまくできないでいる現状を指摘している点は注目すべきだろう。

かくいう自分自身、年齢が増すごとに若く見られることが多くなった。
時にはありがたく、時には考えさせられることも。
じつのところ「年齢相応に生きてますねえ」と言われるほうが、
人間として成長を認められた証なのになあと思うことしばし。

最後に、先日、某ブ○ク○フで滅多に足を運ばないマンガのコーナーを見てみたら……

昼の2時過ぎにもかかわらず、
不登校っぽい中高校生に混じって、
マンガの壁に向かって立ち読みにふけっている、
20代、30代そして40代と見紛う営業マンの姿が。

マンガそのものを読むことについては一切否定しないけど、
この本で嘆いている現実をかいま見た瞬間でもあった。

2014/09/08

肌の色や容姿をめぐる日本の近代史:『「肌色」の憂鬱』(眞嶋 亜有=著・中央公論新社)

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週末に読んだ一冊。今年7月の新刊です。

『「肌色」の憂鬱』(眞嶋 亜有=著・中央公論新社)

著者は1976年生まれの女性。
明治維新以降、日本が「近代化=西洋化」を目指すなか直面した「肌の色=人種の壁」について、
取り上げられている人物は政治家やエリートではあるものの、
政治史的なアプローチのみならず文化史や社会史的にも綴られた、読み応えのある労作。

まず、「民族種別と勝者と敗者という関係から生じた問題は、永久に解決しない」という見解の理由として、
理性ではなく感情の問題であることを指摘した著者の考えには同意。

いっぽうで、20世紀後半ブーム?だった日本文化論や日本人論のような、
心の底では日本および日本人への危惧感を感じつつも、
「西洋」そのものに対する批判的な視点より
「日本や日本人の未熟さ」ばかりが「近代化=西洋化」というフィルターを通して露見されるといった方程式の連続。
といっても、この本は戦後(遠藤周作のフランス留学)あたりまでの考察だし、
かくいう自分自身も、大学生の頃は特に、こういった「方程式」を鵜呑みにしていた。苦笑。

そうですね、この本の持つ読後感は、
かつて読んだルース・ベネディクトの『菊と刀』やマークス寿子の「日本は子ども」的な視点から綴る本のようでもあります。

それが悪いと言うわけではありませんが、
1976年生まれの著者さんだからこそ、
新しいパラダイムを期待していただけに残念。
(浅学なる者が言う資格はないかもしれませんが)

もしかすると、
著者の研究環境が上記のような視点を形成するうえで大きかったかもしれません(浅学な私が言う資格はないかもしれませんが)。

どうしても「西洋人目線(とくに英米系)」からの影響大なる感が、この本からは強烈に漂ってきます。

ちょっと論理が飛躍していると思われるかもしれませんが、
昨今、TPPを推進している人々の多くは、
「近代」ではなく「ポスト近代(現代)」においても
上記のような視点から日本を捉えているような気がしてなりません。

とまれ、「明治維新後〜戦後」という時代の考証としては、
「肌の色」そして「容姿」を取り上げ「割り切れない感情」に切り込んでおり、
その点にかんしては非常に興味深く読めました。

また、ここでは細かいことを割愛しますが、
クリスチャンであった内村鑑三と遠藤周作が体験した教会での「サーカスショー」(よそ者としての宗教体験を語る経験)や
「宗教的な違和感」にかんする記述は、個人的に興味深いものがありました。

「肌の色」という代え難い要素はさておき、
これだけ生活のなかに西洋化が浸透しているにもかかわらず、
今のところ先進国と言われている国のなかで日本では極端にクリスチャンが少ないですから。

ただ、今後、中国やインドがさらに国際社会で台頭してくれば、
先進国と呼ばれる国々の宗教的なバランスも大きく変化するだけに、
気になるところです。

最後に余談ですが、
日本の近代化という渦中での「劣等感」についてフォーカスされている書籍ゆえ、
それに苛まれた人の代表格として、
「これまでの定石どおり、大変神経質な」夏目漱石を取り上げていますが・・・

個人的には、例えば、文部官僚と京都の芸者の子(妊娠中に岡倉天心と間男した)として生まれ、
ドイツやフランスに留学し(フランス留学中は若き日のサルトルが九鬼から現象学にかんする影響を受けたとの逸話も)、
その後は京都大学で教鞭をとりながらも、
花街(祇園)で遊興にもふけっていた九鬼周造(明治生まれで180センチ超えの長身)のようなタイプの人物も取り上げてほしかった。



2014/09/07

iPadよりも記録したことが脳裏に焼き付く?!:「B6リポートリーフ」と「クイックレポートリーフ」

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今どきの文房具屋は「100円ショップ」と言っていいぐらい、
書店よりも、
事務用品取り扱いを含めた正統派の文房具店の閉店が加速しているように思えてならない今日このごろ。

そんな状況と入れ替わるように小洒落た雑貨屋ではデザイン性の高いメモ帳や筆記具が入手できるし持っていれば「センスのいい人」と思われるかもしれない。
でも、頭の中の整理には、今ひとつ向かなかったりする。

ちなみに、ノートにかんしては、日本製って書き味や綴じが素晴らしいらしく、
イギリス人やスペインの友人は、
日本へ来ると大量に購入していた。

「いやいや、手で書かなくても、
 ノートPCやiPadに入っているファイル管理ソフトを使ってデータ化すれば、
 他人とも情報を共有できて便利!」

なんて話も、

特にビジネス系のジャーナリストやIT関係の人たちが盛んに言っている。

確かに情報をシェアするという点での合理性はあるけど、
「PCやタブレットを使えば合理的」という気分一辺倒になれない。
字を書かないと書字の感覚が鈍るし、読めても書けなくなっている漢字も多くなってきた。
それとインターネット接続環境では、
なかなか「本当の孤独」にもなれない。

そこでお目当ての「B6リポートリーフ」を探してはみたものの、
かつて買っていた幅広いジャンルの文具や事務用品を扱う文具店の多くは閉店あるいは、
存続していても、
コピー機が店の半分を占めるような状況だったりでガッカリ。

というわけで、B6リポートリーフのオリジナルは「京大式カード」ということもあり、

京都大学の生協に電話して訊ねてみると「もちろんあります!」といった感じの色よいお返事。

思い立ったが吉日とまでに、
仕事関係の所用の道すがら久々に学生気分に浸りつつも、
くだんの生協で3種を購入。

(ちなみに本家「京大式カード」も2種あったが、
 穴が開いていないのと厚手の紙ということで入手せず)。

ついでにバインダーも2枚。

「B6リポートリーフ」は今でも日本製だが、
バインダーはベトナム製で「留め金」はプラスチックになっていた。

じっくりとアイデアを練るときは大きなノートをおおらかに使いたいけど、
ちょっとしたアイデアの整理や、
何かを報告するときダラダラと間延びさせたくないとき、
この「B6リポートリーフ」が凄く役に立ってくれたことが過去にあった。

このところ、なんだか気分が間延びしすぎていることもあり、
頭のなかにメリハリをつける「仕切り」としても、
なんだか久しぶりに手に取ってみたかった次第。

追伸:オリジナルの「京大式カード」にかんする解説には興味深いものがあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/京大式カード


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