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2014年8月

2014/08/29

鳥瞰的視点からの日本文化論:『月の裏側  日本文化への視角』(クロード・レヴィ=ストロース=著/川田順造=訳)

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8月に読んだ本のなかでも印象的だった一冊…

『月の裏側  日本文化への視角』(クロード・レヴィ=ストロース=著/川田順造=訳)

日本人は「国内外関係なく書かれた日本人(文化)論が好き」。
アメリカ人は「アメリカ人が書いたアメリカ文化論以外は読まない」。
中国人は「そもそも中国人(文化)論を読まない」。

などと言われたりもしますが……

フランスの社会人類学者クロード・レヴィ=ストロースによる、とても視野の広い日本文化論。

近代化された社会のみならず未開社会までも通暁する知の巨人のまなざしは、
いたずらに日本を特殊化しない。

はるか昔は陸続きであったとされる、
アジアやアメリカ大陸に伝えられる神話や民話との共通性を語りつつも、
「日本文化をたらしめているもの」を見事に分析されている。

読了後、あらためて日本の文化について「目から鱗が落ち」る思いがしました。

日本人が「国内外関係なく書かれた日本人(文化)論が好き」という点については……
以下にひきますレヴィ=ストロースの見解に集約されているのではないでしょうか。

まず、主体を思い描くとき、

西洋人の思考は「私」から外側へと「遠心的」に構築し、
日本人の思考は「私」から外側から「求心的」に構築する。

これについては……

「人称代名詞を避ける傾向のある言語にも、社会構造にも、見られます」(38ページ)
との指摘から、次のような、とても興味深い一節を導いています。

「中国生まれの汎用鋸(のこ)やさまざまな型の鉋(かんな)にしても、
 六・七世紀前に日本に取り込まれると、使い方が逆になりました。
 職人は、道具を向かって押すかわりに自分の方へ引くのです。
 物質に働きかける行為の出発点ではなく到達点に身を置きますが、
 これは家族、職業集団、地理的環境、
 そして、されに広げれば国や社会における地位によって外側から
 自分を規定する根強い傾向にあります」
(38ページ「世界における日本文化の位置」所収)

閑話休題。
レヴィ=ストロースが日本に惹かれるようになったきっかけのひとつとして日本の古典文学であり
『源氏物語』にかんしても深い造詣をもっていることが、
この本を読むと痛感します。

母型親族の役割、交叉いとこ同士の結婚……etc、
社会人類学者らしい視点を随所に感じる次第。

今年こそは『源氏物語』を読破と思いつつ、
どうも「積ん読」状態。二つ目の写真は、
7年前、『源氏物語』を読破したスペイン人の友人のリクエストで、
紫式部が『源氏物語』を執筆した場所(石山寺)を訪れた時に撮った自己所有の本と紫式部像。

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2014/08/28

穏やかな波のように優しくゆらめくヴォイス:「Live in NYC /Gretchen Parlato」

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今宵の一枚:「Live in NYC /Gretchen Parlato」

歌声が楽器のように演奏のなかへとけ込み、
ゆる〜い波のように行き来するリズム感……。

ジャズという枠を超えて、
ビョークやシンプリー・レッドあたりもカバーしたりする、
グレッチェン・パーラトのライブ盤です。

変な喩えかもしれませんが、
飲みながら聴けば、
確実にいい感じで酔わせてくれる歌声とサウンドです。

写真のCDジャケットでもわかりますとおり、
ショートカットでボーイッシュな顔立ちが、
むしろ甘美な歌声を引き立てる趣です。

https://www.youtube.com/watch?v=LMDSm3hjLb4

↑You Tubeの動画でその一端を感じてみてください。


2014/08/27

アジアにおける日本の立ち位置を考えさせられる一冊:「大川周明の大アジア主義」(関岡英之=著)。

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予断を許さない中東情勢や尖閣諸島問題がきっかけではなく、
ここ数年前からおぼろげながら関心があった「大アジア主義」。
とはいえ、これまで読んだ本といえば、
孫文と辛亥革命を支えた映画の日活創業者のひとりである梅屋庄吉や、
私心なく辛亥革命への献身を続け大陸浪人ののち浪曲師になった宮崎滔天(とうてん)、
さらには岡倉天心といった人にかんする書籍ばかりでした。

いっぽうで教科書的には「右翼の思想家」という括りがあったものの、
浅学ながらも「大アジア主義」を知るにつけ思想の左右に関係なく関心がわいてくる、
大川周明や頭山満。

というわけで手にした一冊は「大川周明の大アジア主義」(関岡英之=著)。

内容的には「大川周明を訪ねて」といった周辺の回顧録&人物伝的な色合いの濃い一冊だった。
あの東京裁判で東条英機の頭をポカッと叩いたことの真相等、
もっと振り下げてほしい部分も多々あったが・・・

欧米列強からのアジア諸国解放を唱えるうえで、
インド独立運動のみならず、アラブ(中東)諸国にまで見据えコーランの研究等にも余念がなかったこと。
太平洋戦争(大東亜戦争)を最後まで回避すべく奔走したこと、等々。

たんなる思想の左右を超えて世界を見るスケールの大きさを思うと・・・

昨今の政治家や言論人で、誰にそういった懐の深さがあるのか? ふと考えてみたりもした。

また「原発」や「TPP」、「地域主権」といった日本の課題を考えるうえで、
従来までの「保守/リベラル」や「右翼/左翼」といった二項対立の枠組みでは整理がつかないが、
ある意味、大川周明も、
そういった二項対立の枠組みを超えて日本および世界を見据えた人であったともいえようか。

いずれにせよ「大アジア主義」という「イズム」なれど、
そこに集った人たちが「口先だけのスローガンよりも誠実な人となりと信念」が、
国境を超えて世を動かした。

そんな「もうひとつの近現代史」に、
個人的な意見ではありますが「悪いロマンではない」と思う次第です。

2014/08/26

安物買いの銭失いの裏側:『ファストファッション: クローゼットの中の憂鬱 』(エリザベス・L・クライン著/春秋社)

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「衣食足りて礼節を知る」なんて諺がありますけど、
足りれば足りる(求めれば求める)程に礼節から離れていくファストファッションとファストフード。

まさに負のエントロピーまっしぐらなんて、ここで言う必要もないぐらい。

そんな余談はさておき、あえて感想よりも、
しっかりと引用箇所のページ番号を掲載し気になったセンテンスを引いておきます。

●「アメリカの消費者が購入する衣料品のうち、国産品の割合は現在わずか二パーセントで、
 一九九〇年の五〇パーセントとくらべると劇的に減少している。」(11ページ)

ちなみに、購入する服の点数は2倍に増えているとのこと。

●「Forever21はデザインを盗用するとして悪評が高く、
 これまで五〇回以上も著作権侵害で訴えられている。
 だが、事実を認めたことは一度もない。
 アメリカの著作権法は、プリント柄やアクセサリーのデザインは保護するが、
 ファッションデザインに対しては著作権を認めていないからだ。」(135ページ)

フォーダム大学で法律学を教えるスーザン・スカフィディ女史いわく

「国の著作権法は、服は機能的なものにすぎないので著作権法は認められないと言いつづけています」

というが日本のヴィンテージレプリカジーンズの小ブランドにしっかりとクレームをつけたのは、
アメリカのリーバイス。

●「スタイルの変化が急激になればなるほど、同じ種類の安い品物の需要が高くなる」(149ページ)

ドイツ人社会学者ゲオルグ・ジンメルが一九〇四年、
アメリカの社会学界誌アメリカン・ジャーナル・ソシオロジーに寄稿した一節。
一世紀後、その警告が現実となった。

この本の〆として著者は「スローフード」ならぬ「スローファッション」を提言しています。

「つまり自己表現のための服だという点である。
 そういう服こそ、点数も少なくていいので、
 一点一点に今よりお金をかけるべきだ」(276ページ)と。

裁縫の教室へ通い服そのものの構造を知る事で、
作り手の労を知るだけでなく、
素材についても気にかけるようになったといったコメントも書かれていましたが……

この著者はファッションの分野にかんしては素人である作家・編集者。
自身がもともとファストファッション中毒だった。

そのためか、驚く程、素材や縫製についてずっと無頓着で過ごしていたのだなあと、
本の前半を読んでいたとき半ば呆れつつも、
日本でも同じ世代の多くの人々(ロスジェネ世代なんて言われる人々)も、
似たような感覚でバブルが弾けた1990年代後半〜2000年代は、
同じようにやり過ごしていたともいえる。

いやはや、もっと上の世代でも、
例えばベンツやBMWに乗ってユニクロで買物をする人がいたりする。

「モノの価値観」のアンバランスさは世代など関係ない。

ちなみに、この本で特筆すべき取材は、救世軍や慈善団体へ送られる古着の行く末です。

どこかでこの本を見つけられましたら、ぜひその部分だけでも読んでください。

そして、この著者が偉いなあと思ったことは……

より長く大事に服を着てもらうために、
自分では要らなくなった服をチャリティー等に出す時、
きちんとクリーンングしたり修繕するよう心がけるようになったということです。

ただファッションの傾向と問題を知るためだけではなくグローバリズムの陳腐さを知る意味でも、
分析に緻密さには欠ける部分が多々あれど、心の素直さと情熱を感じさせてくれた一冊でした。

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