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2013/11/27

「ジャン・クリストフ」と「古典真空管」:「温故知新」だけでなく「温故改新」も必要?!

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このところバタバタしていた時もあり、
少し中断していた『ジャン・クリストフ』の3冊目(フランスの原書では第6〜8巻)だったけど、
昨晩は時間を忘れ夢中になって読了。

特に第7巻「家の中」、第8巻「女友達」では、
作者ロマン・ロランの深い洞察力に感銘を受け、
速読なんていう陳腐な利己心は一切沸き立ちませんでした。

それにしても、以下の一節って、我々が日常、
何かを為す時にも大事な心構えではないかと思った次第です。

「大芸術家の理想は、生きたる客観主義であるべきであった。
 みずから自我の衣を脱いで、世界を吹き渡る多衆的熱情の衣をまとう、
 古の楽詩人に見るような、生きたる客観主義であるべきであった」
 (『ジャン・クリストフ』3・p503)

大衆に迎合するというのは訳が違うし、
鋭くエセ表現者の利己心をいさめていると勝手に解釈しました。
その他、感銘を受けたことは枚挙にいとまはありませんが、
最後の4冊目も大事に読んでいきたい。


閑話休題。
もうすでに21世紀も13年経っているので、
1903〜1912年まで文芸雑誌に連載された長編小説(ジャン・クリストフ)は
「古典」と呼ぶのかもしれないと思いつつ……

今年自作した真空管アンプもロシアや中国の現代のレプリカ真空管ではなく、
1930年〜50年代に作られた古典管で、
当時の音響技術の英知を咀嚼しながら音楽を聴いてみたいという思いにかられる今日この頃。

というのも、なんでも現代の最先端を選択すれば心地よさを得られるかといえば、
全てがそうではないと言えませんか? 

自分が作ったという思い入れも多分にあるかと思いますが、
真空管アンプの奏でるミュージシャンの躍動感を知ると、
生産効率で「何か(something)」を失っていると思えてならないんです。

で、某オークションで落札したのが写真の真空管。
これらは整流管というもので、
オール古典管にするためには、
また初段管2本と出力管2本をゲットする必要があるんですけどね。苦笑。

ちなみに写真の真空管、特に左側は1930年代のヴィンテージ品です。
70年以上の歳月を経ても生きているサウンドを、早く耳にしてみたいです。

これらはアメリカ製。これまで「ベタなアメリカナイズ」にどうも馴染めず、
アメリカ製のものも敬遠しがちでしたが……
良くも悪くも一番アメリカがイノベーティブであったであろう時代を
音として肌に触れてみようといったところです。

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