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2006/09/01

o respitar da paisagem :: 無意識を覚醒させる音風景。

Tsunodaあれはちょうど2年前,久々にスペイン人の知人と再会するために,南新宿にあるホテル前のテラスでボーっとしたり,新宿駅南口から明治通り方面へと続く下り坂からアルタ方面を眺めていたときでした。

時間帯は9時台ということもあり,各ショップから垂れ流されるBGMがないせいか,一日中,東京で生活していたときには感じなかったであろう,集合的な街の持つ喧噪を,あたかも独自の低周波のごとく知覚したことを記憶しています。

いつか,そのときの知覚を,音の風景として形にできないものだろうか? 誰か,それに共感してくれる人はいないだろうか? そんなことを思ったりもしていましたが・・・街に溢れる音を採取しサンプリングして音を構築する人は少なからず存在するわけでして,しばし,勝手な思いは心の片隅に置いたままでした。

ところで・・・ときどき足を運ぶ,セレクトされている作品は,音響系/フリージャズ/エレクトロニカ/ノイズ・・・といった,巷ではあまり耳に触れることのない音楽ばかり集めた店で,ジャケットを見るなり購入したのが,

o respitar da paisagem :: toshiya tsunoda

2003年,ポルトガルのレーベルから発表された作品です。東京藝術大学で油絵を専攻していたという角田俊也氏による,いわば,物質と空間(空気)が醸し出す音の表情を,携帯用DATレコーダーと医療用のコンタククト・マイク等を駆使して(いくぶんかイコライジングを施しながらも)表現しています。

単純にいえば,音は空気が振動するから鼓膜に届くわけですが,人間の耳は,良くも悪くも人間の意識というフィルターを介して音を知覚しますが,かといって,意識されない音を聞いていないわけではありません。そんな無意識下で何気なく知覚される音の表情や風景を,この作品から感じ取ることができます。単なるノイズと思われがちな音も,こうして集中してみると,自然界に散らばる美しい音だと再認識。

道路や倉庫や埠頭や家の中など,音の採取場所は,誰もが日常で体験できる空間ばかり。ただし,人間の意志で構築されたメロディーは一切ありません。だから,言ってみれば「無意識下の音風景の意識化」ともいえます。聴き方によっては,ただのノイズかもしれない。でも,こうした音の風景はけっして耳障りなものではなく,いかに現代人が,限られた知覚認識を強制させられているのかを実感できる作品であります。

そういえば,ポルトガルといえば,リスボンのゲトーで二年間も小型デジタルカメラを駆使して撮影された「ヴァンダの部屋」という映画を思い浮かべます。「ドキュメンタリー」と「フィクション」の垣根とは何たるかを痛感させる,美しいノイズを感じずにはいられない映画でしたが・・・ご興味のある方は,下にあるURLで詳細をチェックしてみてください。このペドロ・コスタ監督の「ヴァンダの部屋」の手法,どことなく,今回の角田俊也氏と同じ匂いを感じています。

http://www.cinematrix.jp/vanda/


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