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2005/04/13

『DJカルチャー』

nao8-1110462720-3日記のタイトルは最近よんだ本であります。著者はドイツ人のウルフ・ポーシャルト。サイト管理人と同じ年齢の人で,学生時代にはモデルやクラブのDJをしたり,卒業後は雑誌の編集長を勤め,今はベルリンの芸術大学で美学の客員教授をしているとのことです。

翻訳そのものはある程度,原文のイメージを崩さずになされていると思いますが,ずいぶんと語り口調風のタッチであるものの,学術論文からの抄訳ということもあり,ヘーゲルやマルクス,フーコー・・・といった知の遺産(巨人)の言説を後ろ盾に,権力や体制への反旗ともいうべきアンダーグラウンドカルチャーの構造や存在を論じていると言える内容です。

かつてのニューアカブームのように,いたずらにカタカナ言葉を並べ,意味もはっきり掴んでないのにクレバーそうに「見せる」時代はとっくに過ぎました。むしろサブカル現象がパズルのように組み合わされていく現代に,学術的な理論はどこまで援用可能かという点で楽しめた本でした。

そんな理屈っぽいことはさておき・・・かつて,自分自身のなかでは,弦や鍵盤を奏でるミュージシャンが上で,DJは多くが楽器ができない人がするもので下といったイメージを持っていました。けれども,ロックもある程度は方程式が出来上がった昨今,もしサウンドそのものへの「快」を求めるとすれば,ライブ演奏の臨場感はもちろんのこと,すでに存在する音源への新しい「聴かせ方」を追求するDJの音づくりでも十分楽しめると思えます。

ある意味,レコードという作品の組み合わせの妙が,かつては再生装置だった音響機器を即興性の高い楽器へとかえてしまうところなど,人間が機械に飼い慣らされずにどう付き合うかといった視点をも投げかけてくれるのではないでしょうか。いろんな物事があふれかえったこの時代そのものの楽しみ方を提案してくれているかのようにも思えます。
いっぽう,オリジナルと思っていた日本のロックバンドの名曲が・・・そのじつ華麗なるパクリ?だったりするわけで・・・たとえば「いとしのエリー」とか「レモンティー」なんていったタイトルのついた曲だったりしますが・・・。

とどのつまり,ミュージシャンや小説家の多くは,良い悪いは別にして,人の興味を引く「ツボ」みたいな元ネタを自分流にアレンジする才能があることは,認めていいでしょう。「パクリ」というのは,そう見せないクレバーさがあれば,十分に才能なんですね,きっと。

無から有を生み出す・・・なんてことは,ほんの一握りの天才だけに許される文句かもしれません。

只今のBGM ...... PIL ...... theme


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